昨今、時事ネタを見ていると、やれ反日だ親日だという言葉に目がいきます。
私自身、反日・親日という言葉は、極端だし都合よく使われるので、あまり好きではありません。
「次は親日か?反日か?若者の意見は…」
というと韓国の新大統領がどうなのか、などに注目されがちですが、私はそれよりも台湾の”親日国”というポジションのほうに以前から興味がありました。
台湾へは2023年に旅行で行ったのですが、その時に忘られないエピソードがあったので、そのお話をしたいと思います。

母と行ったのですが、以前からツアーで組み込まれるようなコースを行くのが嫌で、私だけルートから飛び出し、前日に予約して街中のアートスクールの体験講座に行ったりしていたんです。
理由は私の体内時計が一般の人とズレているので、合わせているとしんどくなるのと、退屈だったら時間が勿体無いと思ったからです。
一人で旅行をしても名所にはあまり興味がなくて、マイナーな土地へ行ったりします。
しかしあの日のことは忘れません。
旅行の最後日に行った台北101。
地下はなんてバブリーなんでしょう…ブランド店エリアの隣にあるフードコートでマクドを食べて、いざタワーへ。
なんと台北101のエレベーターは東芝製らしく、スカイツリーと似た感じで、わずか39秒で地上382.2メートルに到達。
実は内心、私はタワーに登ることに興味がなかったんですが(高所恐怖症もあり)、母が行きたそうだったので一緒に行きました。
見渡す限り、ネオン輝く摩天楼。
それは東京にも大阪にもないような、でも香港っぽさは少しあるような…そんな感じでした。
それよりも私は、タワーの建設に日本のゼネコン(熊谷組)が開発に関わっているとのことと、地震や台風がきてもまず倒れないという安心性に興味がありました。
ほんとロマンのない人間だと思います…笑
さて、タワーの角になっている部分にはいかにもフォトジェニックな写真スポットがありました。
韓国か日本の子たちかわからないけど、若い女の子がインスタかTikTokの写真撮影。
撮ってはスマホを確認し、イマイチだったらまた撮り直し。
そしてどんどん行列になる。
韓流っぽいイケメン美女もいて「そんなのばっかりか〜」と思っていたら、一人のおじいさんが寄ってきました。
「日本の方ですか?」
知らない人からいきなり声をかけられたもんですから、一瞬ヤバいと思いました。
でも何か話したそうだったのでお話を伺ってみましたが、日本語に少し違和感があるんです。
たくさん話してらっしゃって全部は覚えてないんですけど、これだけは覚えています。
「ここも、こんなに変わりました…」
おじいさんは目に涙を浮かべていました。

聞くところによると70代後半みたいです。
目の前には電飾された台湾総督府庁舎がありました。
総督府・・・そう、台湾はまだ総督府。トップは総督なんです。
(たしかにニュースでもそう書かれてますね)
大学受験の日本史で習った、日本の植民地時代に作られたあの台湾総督府は、まだそのまま残っていたんです。
※日本統治時代に建てられた総督(そうとく)府の建物はそのまま使われていますが、政治は「中華民国総統(そうとう)府」が行なっているそうです。
気になったのでつい最近ChatGPTで色々歴史を調べましたが、台湾って日本統治下のものがまだまだ色濃く残っているんですね。
あのおじいさんはきっと、日本の敗戦後すぐに生まれたんだと思います。
日本と同じく瓦礫だらけとなった台湾の街が、今ではネオンでキラキラ輝くようになるまでをずっと見てきたんでしょうね。
今でも日本語を覚えていたのはなぜなんだろう。日本の統治は1945年で終わっているはずですが・・・それは今度ChatGPTに聞いておきます。
それはさておき、その涙を浮かべて語っていたおじいさんは、台湾が今日まで頑張って成長してきたことを私に伝えたくて、ずっと地上382.2メートルで待っていたのではないか?とも思えたんです。
私の母も一緒にいたからかもしれませんけどね。
そんなこともあり、あの日の台北101で見た夜の景色はずっと心の中に焼き付いています。
私が反日・親日という言葉が好きではないというのは、絶対にグレーも対極もいるだろう、ということからなのですが、このおじいさんの話はそれでも片付けられないものです。
「台湾までLCCでひとっ飛び」
のはずが、この台湾旅行はそんな軽い旅行ではなく、決して日本では知ることのできない、一人の外国の男性のドラマを教えてもらった人生の一コマでした。
そんな視線を持ったおうち画家やっています。よかったら見てください。
Yuka Mitsufuji