こんな感情は初めてですね。
私は戦争の話というと、おじいちゃんやおばあちゃんから聞いてはいたけれど、心理的なことしか聞いていませんでした。
つまり私の祖父母は負傷はしていないんです。
だから毎年8月になると気分が沈んでくるし(テレビ番組が重暗くなる)、『火垂るの墓』が放送されたら「今年はいいかあ・・・」ってなってお笑い番組にチャンネルを変えてしまったり。
でも今回の、イラン・イスラエル戦争をアメリカが参戦することで(形式上)停戦させたこと。
トランプが「ヒロシマ・ナガサキと同じと言いたくはないが」と前置きをしつつ「終戦させたのはアメリカだ」と正当化したことは、日本国民のナショナリズムを逆撫でされた感覚でした。
トランプに呆れているのではなく、これは世界の代弁なのか?という虚しさが込み上げました。
「核を使うぞ」と何も知らずに相手を脅すイスラエルの行動はコドモに見えますし、やれ「核兵器反対と言っているあなたは何を信念にそう言っているのですか」と問いたくもなります。
その気持ちを冷静に冷静に、推敲を重ねて翻訳しながら書いたエッセイが・・・なかなかお披露目できないんですよね。
なぜなら今の日本も含めて、世界はまだアメリカを中心に回っているからです。
ちなみにエッセイはかなりわかりやすく書きました。
・原爆がなぜ怖いのか(超簡単)
・被害者数
・狙われた都市
・発言するからには真実を知るべきである主張
大体こんな感じです。
少し皮肉も入れましたけどね・・・
情けないながら、私は新幹線で広島駅に降りられないんです。
昔ドキュメンタリーを見たのが脳裏に焼き付いていて、とにかく怖かった。
平和記念資料館も怖くて行けません。
申し訳ないながら、これは本音なんです・・・でも、これが怖さの真実だと思っています。
放射能がどうとか物理的科学的なことではなく、地獄絵図が描かれることがどれだけ恐ろしいことか、ということ。
「核兵器反対」それを見てからと言ってほしいなと思います。
もし読んでくれそうな心優しい人がいたら、そっとこの記事をシェアしてもらえると嬉しいです。
私の切実な思いが詰まっています。
(お手間ですが、ChatGPTにコピペすると日本語訳してくれると思います)
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